本学衣笠キャンパスの以学館で11月7日、産業社会学部の客員教授である是枝裕和監督と森達也監督によるティーチインイベント付上映会が行われた。
同企画は、森達也監督が担当する「メディア社会専門特殊講義(SH)」(秋学期)の一環。同学部の創設60周年記念も兼ねて、一般開放され、受講生を含む学生ら約320人が参加した。
企画では2005年放送の、是枝監督が制作したテレビ・ドキュメンタリー「シリーズ憲法〜第9条・戦争放棄『忘却』」が上映された。
同作品では「憲法9条 戦争の放棄」をテーマに、自身の個人史の中で憲法9条がどのように意識され、また忘却されてきたのか、「加害性」などを中心に淡々と再検討する。
上映後、森監督と是枝監督によるトークセッションや、参加者が監督たちに質問できるティーチインが行われた。話題はシリーズ憲法の制作秘話からテレビやドキュメンタリーのあり方などと幅広く、参加者は耳を傾けた。
「ドキュメンタリーはあくまで表現」
是枝監督は憲法9条を扱うにあたって、テレビ局から「両論併記」を求められたと話す。政治的内容を扱う場合、対立する双方に取材する。しかし是枝監督は両論併記はせず、穏やかに個人史として憲法9条を描いた。
ドキュメンタリーを、主観が排除された、客観的なものだと捉える人は少なくない。森監督は「本来ドキュメンタリーに中立公正性は必要ない。ドキュメンタリーはあくまで表現」とし、ドキュメンタリーの本来の姿と世間的イメージの乖離を指摘した。
「流れて消える」テレビは今
現在は映画を軸足に活躍する2人。テレビと映画の違いについても触れた。映画は観客が自ら足を運び、約2時間拘束される。一方、テレビは突然流れてきて、その後のチャンネル決定権は視聴者が持つ。
森監督は、テレビの特徴に「不意打ちができること」を挙げる。「不意打ちができるメディアということにテレビは自分で萎縮して牙をなくしてしまった」と、現在のテレビの単純化や説明の過剰化について指摘した。
テレビは録画され、再検証が可能になった。現在、「流れて消える」というテレビのアイデンティティーは失われつつある。「放送というのは何をアイデンティティーと捉え直すのか」と是枝監督は再考する必要性を語った。
参加者からは多くの質問が飛び交った。大衆評価と作品自体の評価が必ずしも一致しない中で、どんな作品を作るべきなのか問われると、森監督は「自分が納得できればいいんじゃないかな」と回答。何を目的に制作するかによって異なると話した。
是枝監督は「日本は『お客さん入らなかったけど良い作品だったね』というのが成立する数少ない国」とし、「多様な評価がされているという点は日本の良いところ」と述べた。
企画終了後、本紙の取材に応じた森監督は「映画や読書など一見無駄に思える時間こそ豊かな発見がある」とし、「そういう時間を惜しまずに使ってほしい」と学生にメッセージを送った。
是枝監督は、本学の印象について聞かれると「学生も教職員もフランク」と笑顔を見せた。「僕らの言葉をありがたがらずに批評的に見て、反面教師になるものがあるなら持ち帰って」と話した。
【是枝裕和(これえだ・ひろかず)】
1962年、東京都練馬区生まれ。大学卒業後、「テレビマンユニオン」に参加し、主にドキュメンタリー番組を演出。14年に独立し、制作者集団「分福」を立ち上げる。95年に初監督した映画「幻の光」以来、国内外から高い評価を受けている。代表作に「誰も知らない」「万引き家族」などがある。
【森達也(もり・たつや)】
1956年、広島県呉市生まれ。大学時代は自主映画サークルに所属し、俳優養成所にも通っていた。テレビ制作会社勤務後、フリーで主にドキュメンタリーを制作。代表作にオウム真理教を扱ったドキュメンタリー映画「A」「A2」や、「i-新聞記者ドキュメント-」がある。23年には自身初の劇映画「福田村事件」を発表。
(井本)
長時間のイベントの要点をしっかり伝えていただきありがとうございました。