紙面より

[社説]阪神・淡路大震災30年 ボランティアの在り方を問う

ボランティアとは誰のために存在しているのか。その答えは、常に「支援の受け手」であるべきであろう。

阪神・淡路大震災が起きた1995年は、「ボランティア元年」と呼ばれる。1年間で約138万人がボランティアとして被災地で活動し、その存在は私たちにとって身近なものになった。

あれから今年1月で30年が経った。今やボランティアは被災地支援に欠かせない。昨年1月、能登半島地震が発生した際も、石川県は災害ボランティアを受け付けるホームページを開設しボランティア参加を呼び掛けた。

ボランティアの活躍が目立つ一方、課題も浮き彫りとなっている。地震発生から5日後、石川県の馳浩知事は、自身のX(旧ツイッター)で「現在、個人のボランティアは受け付けておりません」「能登への不要不急の移動は控えて」と発信した。

支援の受け手に寄与することを第一に考えなければ、ボランティアの行動はかえって混乱を生んでしまう。

ボランティアは必要不可欠な存在である。能登半島地震で甚大な被害を受けた石川県をはじめとする被災地は、現在もボランティアを求めている。私たちは、この30年でボランティアが培ってきた知見を未来につなげていかなければならない。

ただ、ボランティア活動の本質を見失ってはいないだろうか。ボランティア活動は、自主的な社会のための無償の活動のことだ。絶えず支援を受ける側に寄与するものでなければならず、また好意の押し付けになってはならない。

ボランティア活動が活発になり、支援をする側にも注目が集まるようになってきている。しかし、どのような場面であっても助けを求めている側の視線に立って活動することが求められているのではないだろうか。

ボランティア元年から30年を迎えた今、もう一度ボランティアの在り方を見直したい。

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