立命館大学新聞のコラム欄「海神(わだつみ)」。記者が日々の思いを語ります。
地元は晴天率が非常に高い田舎で、山脈にぐるりと縁どられた青空を遮るものはほとんどない。植えたての稲が波立つ季節には、家々の庭で泳ぐ鯉のぼりが遠くまでよく見えた。
その鯉たちのなかに一本、初夏の空に異彩を放つ鯉のぼりがいた。
以下に記憶を手繰りながら書いてみるが、意図せぬ虚構が含まれることを断っておきたい。
まず印象的なのはエネルギッシュな色彩と、眼だ。あの鯉のぼりの眼は異様な大きさをしていた。黒々としたタッチは力が渦を巻いているようであり、その眼が描き入れられているというただ一点だけで、鯉は竜に匹敵するかのようにすら感じられた。
全体の造形も独特で、生きた魚のように腹の部分はふくらみ、口と尾に近づくにつれ細くなっていた。魚はその中に納められた筋肉と内臓のために水中で自在に動くことができるが、鯉のぼりは風によって支えられ、泳ぐものである。輪郭が歪(いびつ)に風を拾うその鯉のぼりはいつ見ても綺麗に泳げてはいなかった。打ち上げられた魚がのたうつような姿は、今も私の記憶に強烈に残っている。
これを書くために変わった鯉のぼりについて調べたところ、岡本太郎の作品にそれらしいものを見つけた。かの鯉のぼりが立つ家に住む同級生は、思えば5月5日に生まれた男子であった。生まれた日に象徴的な、願いのこもる装飾に岡本太郎が選ばれたこと、その理由はなんであろうか。次の帰省は成人式である。久しぶりに顔を見られたら尋ねてみたい。
(唐木)
記者さんは、長野県出身でしょうか?