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衣笠 消えゆく学生街 生協頼りも依存はできず

「生協頼りの学生生活を送りました」

1978年から衣笠キャンパスに通学していた文学部の河島一仁教授は、当時の立命館生活協同組合について振り返る。

地図を手に等持院・龍安寺地域を説明する河島教授

衣料品や家具まで取り扱い、多数の学生が生協の理髪店を利用していた。生協のアルバイトに従事する学生も多く「(卒業後に)大学や生協の職員になる人もいた」。存心館前では電器屋の男性が「生協よりも安い」と言いながらチラシを配っていたという。

「近隣の小売業と生協は競合関係にあったのでは」

今もキャンパス内には立命館生協が営業する店舗が多く存在する。しかし、土日は営業しておらず、長期休暇期間になると、平日でも昼過ぎで営業を終える。

立命館生協の飯塚光一専務理事は「利用状況を踏まえて判断している」と説明する。時給の高騰や人手不足が経営上の課題となる中、経営とのバランスを考慮した結果だという。
◇ ◇ ◇
約50年前は学生街として栄えていたという、京都市右京区の龍安寺参道商店街。今ではすっかり学生の姿は消え、店主の高齢化による後継者問題や移動手段がない高齢者らが店まで行けない「買い物困難者」問題を抱えている。

現在の龍安寺参道商店街。店の数が少なくなった

そうした中、商店街事務局の片山直明さん、勝山恵子さんらは地域住民の住みやすさ向上のために「とんぼの家」を始めた。カフェの出店や惣菜の販売が行われ、多世代間の交流の場として重宝されている。

憩いの場となっているとんぼの家

地域活性化のために何か挑戦したいという若者の背中を押そうと、さまざまな支援も行っている。

河島教授によると、商店街は周辺にあった映画の撮影所の影響で発展し、本学開設後は学生を相手にする店も増加した。

ショッピングセンターの開店や理工学部の移転(94年)で打撃を受け、商店街から学生の足が遠のいていったと河島教授は考える。「衣笠キャンパスは校門が複数あり、学生によって使う道もさまざまだ。一つずつの通行量が多くないため、飲食店も増えず、学生街が形成されにくいのでは」と分析した。

(松山、八木、矢野、井本)

POSTED COMMENT

  1. ハーレクイン より:

    龍安寺商店街。地域の商店街、観光客には龍安寺への参道、そして学生には定食屋と雀荘目当ての学生街。この3つの顔がうまくミックスし、静かながらも活気のある商店街だったと記憶しております。仲間と雀荘に入り浸り、抜け番になるば定食屋で食事。若かりし頃のいい思い出です。

  2. ツルちん より:

    愛知県在住です。利用していた飲食店は形態を変えたり民家になったり。大学周辺に複数あった銭湯もなくなり、住んでいたアパートは一軒家に変わっています。毎年一回大学周辺をブラブラしにいきますが、キャンパスのベンチに腰掛け、大きく変わってしまったことに寂しさを感じながら、懐かしい想いにふけっています。

  3. 昭和の立ちゃん より:

    龍安寺商店街は、学生さん相手の安い食堂があって「まるまん」「美福」「大黒堂」とかによく通いました。コロッケ定食や、ハンバーグ定食は300円で学食より安かった

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