「メディアは、正しくて必要な情報を、私たちに提供できているのか」――。
そう学生に問いかけるのは、NHK・Eテレの情報番組「バリバラ」のご意見番・玉木幸則さん。
玉木さんは、本学産業社会学部で本年度秋学期に開講されている「メディア社会専門特殊講義(SF)」に11月29日、ゲストスピーカーとして登壇した。同講義の担当教員は、元朝日新聞記者の生井久美子さん。記者としての経験をもとに授業を行っている。
取材を通して玉木さんと知り合った生井さん。講義では学生にこう語る。「人と出会うこと、特に多くの当事者と出会うことによって、いろいろなことに気付かされてきました。みなさんにもぜひ、当事者から直接話を聞いてもらいたい」
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玉木さんは1968年、仮死状態で生まれ、脳性まひになった。言葉と手足に不自由がある。
玉木さんが4歳の頃、障害を「治す」ために療育施設に入所させられた。「なんで僕はここにおらなあかんのかなあ。さみしいなあ」。そんな思いを抱いていた当時の記憶が、玉木さんの「今の仕事とか活動を支えている原点」だ。
施設に入所した玉木さんは手術を受けた。「障害はダメなものやから、治さなあかん」。周りがよかれと思って行った手術だった。「これこそが優生思想による矯正だった」と玉木さんは振り返る。
「『障害のある体が悪で、障害のない人に近づけてあげるのが僕にとっての幸せ』っていう考え方。これ、違いますよね。ありのままでいいのに」。
玉木さんは言う。「僕は生まれてからずうっとこの体やから、今の状態で問題ないと思ってるし、日常的には自分のことを障害者だと思って生きてませんからね。この体が僕にとっての普通なんです」。
障害の有無にかかわらず「生まれたままで、生き続けられることが大事」だと。
玉木さんが今、目指すのは「フル・インクルージョン」。単に障害のある人もない人も同じ場で学ぶ状態ではなく、「共に生きていくことができる社会」を作っていくこと。分けず、排除せず、平等な選択肢があることを前提に、共に生きていくことだ。
講義のテーマにも「誰ひとり取り残さない」ではなく「誰ひとり取り残されない」と書いた。
「これ、めちゃくちゃハードル高いけど、そういう社会がいるんちゃうかな」。
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玉木さんが週に1回、「きらっといきる」「バリバラ」といったテレビ番組に出演するようになって、16年目になる。
当初「障害者のための情報バラエティー」を掲げていた「バリバラ」。「多様性のある社会」を目指して進化してきた。
今では、障害のある人に限らず「生きづらさを抱えるすべてのマイノリティーのバリアをなくすため」の番組に。LGBT(性的少数者)や外国人技能実習生など、幅広い問題を扱っている。
その中で、玉木さんは疑念を抱いている。「今、日本に潜在している大きな問題はいっぱいあるにもかかわらず、メディアはなんでそこつっこまへんのかな、と思うんです。表面に見えてる話しかしない」。
今の社会では、年齢などの「物差し」だけで人々が簡単に淘汰されてしまう。「分け方次第で、いつでも誰でもマイノリティーに追いやることができるんです。マイノリティーもマジョリティーも、身近なもの、自分事として考えていく必要があると思います」。
また玉木さんは、メディアに対し「メディアは当事者から意見を聞いたのか。これまで報じてきたことに(当事者の)声が入ってきたのか。メディアはちゃんとやっていかなあかん」と求める。
そして、記者に提案した。「迷い、戸惑い、模索しているところも、記事にしたら?」。
(小林)
【社告】
「障害者」か「障がい者」か
本紙では、固有名詞を除き「障害者」と表記しています。一般的な表記であることや、読みやすくするために交ぜ書きを減らすよう求める基準の存在などが理由です。
こうした表記については、たびたび議論が起こります。「害」の字の負のイメージから「障がい者」とすべきでないか。そうした指摘は多くあります。実際、一部の地方公共団体や企業は「障害者」の表記を「障がい者」に改めました。「障がい者」の表記は、広く定着してきています。
こうした表記について玉木さんに問うと、次のように話していました。
「害があるのは『環境』。本人の中にあるわけじゃない。それを平仮名にして、誤魔化したら困るねん」。
「障害」は「障害者」自身ではなく、社会や環境にある。「障がい者」と平仮名にすることで、社会に「害」があるという認識が薄れるのではないか。そのように玉木さんは懸念していました。
玉木さんの考えを踏まえ、本紙では引き続き「障害者」の表記とします。本紙では今後も、適切な言葉の用法について検討してまいります。