新元号の制定を受け、本学文学部日本文学専攻で上代文学を専門とする藤原享和教授に意見を求めた。
藤原教授は初の日本の古典からの選定に加え、天皇退位による新名称の採用から、伝統の崩壊を危惧した。
「元号は中国王朝の政治制度に倣って採用され、原則として中国の古典から選ばれている。中国の古典は東アジア全体の古典と称すべきであり、国書からの選定は東アジア教養世界の中では失笑を買いかねない。ただし、『令和』の語としての響きは美しい」と語った。
また、上皇の后の名称は「皇太后」と呼ぶのが習わしであるのに、新たに「上皇后」としたことについて。「皇太后という語が未亡人の印象を彷彿させることが懸念されたと聞いている。しかし、生前譲位制度の廃止の結果、明治以後の皇太后が未亡人であったためで、元来そのような意味はない」と指摘した。
次に、新元号が万葉集巻一に載せられた「梅花の歌」の序文中の漢詩「初春の令月にして、気淑く風和ぐ」から採られたことについて。
この序文は「帥老」の邸に幾人かの客が集まり、梅の花を愛でた宴の模様を語る。序文の作者を誰とするか、研究者の間で議論が絶えないが、有力とされるのが大伴旅人と山上憶良である。この歌会に席を連ねた者の中で身分が高く、漢文に造詣が深い二人である。
藤原教授は旅人を作者とする見方を強めている。「この序文の中の『帥老』は当時大宰府の長官であった旅人を指し、『老』は自身をへりくだった言い方であろう。仮に、憶良である場合『老』は旅人への敬称となるが、彼ほどの学識であれば読み手を唸らせるような表現を思いついたに違いない」と話した。(藤井)