本学大学院先端総合学術研究科の小川さやか教授の「チョンキンマンションのボスは知っている アングラ経済の人類学」(春秋社)が第8回河合隼雄学芸賞と、第51回大宅壮一ノンフィクション賞をW受賞した。この本は、小川教授が実際に香港のチョンキンマンションに住み込み、香港に滞在するタンザニア人商人の商習慣や、独自に築いた互助の仕組みを研究したものである。
河合隼雄学芸賞は、河合隼雄財団によって、毎年3月からさかのぼって2年の期間内に発表・発行された作品を選考対象として、選考が1年ごとに行われる学芸賞である。
また、大宅壮一ノンフィクション賞は、一年間に発行されたノンフィクションの単行本から選ばれる、ノンフィクション分野における芥川賞・直木賞といわれる賞である。
―河合隼雄学芸賞、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞されたご感想をお聞かせください。
河合隼雄学芸賞は、突然の連絡だったので驚きました。大学院生時代にはアフリカの民話や神話などを研究していたこともあり、物語を豊かに読み解いていた河合隼雄氏ゆかりの賞をいただけて夢がかなった気持ちです。大宅壮一ノンフィクション賞は、人類学の民族誌がノンフィクションというジャンルで評価されたことに新たな可能性を感じました 。 これを機にジャーナリストたちとの新しい出会いがあったら嬉しいと思います。
―教授がご専門である文化人類学、そしてこの香港でのタンザニア人商人についてご興味を持たれたきっかけを教えてください。
異なった文化や社会を研究することで、 私たち自身の文化や社会の再発見や再考ができると考えています 。同時代を生きる他者の異なった論理や世界のあり方を知ることは、私たちの「こうでなくてはならない」という固定観念を解きほぐしてくれることにもつながります。
大学院に入学した頃は、とにかくできるだけ遠いところに行きたかったのです 。日本では、中国によるアフリカ進出が話題になりがちですが、アフリカの人々の間では、中国や香港との交易で一旗挙げたいという「チャイニーズドリーム」ともいえる旋風も吹き荒れました。アフリカ諸国の消費文化と模造品やコピー品との関係にも関心があり、商人たちを追いかけて香港や中国に行きました 。
―実際に現地で調査をされて 苦労されたことはございますか。
人類学のフィールドワークでは、調査対象となる人々との信頼関係を築けるかどうかが重要です。とはいえ、見ず知らずの土地で誰を信じてみるかは賭け事です。そして商人の世界は生き馬の目を抜くような騙しあいが繰り広げられる世界。人の心は容易にはわからないし、人はいつでも豹変することを織り込みながら他者を信じて賭けるための知恵を身につける必要があります。それはけっこう奥深くて大変なことでした。
―ご著書の中で、香港に滞在するタンザニア商人は、 見返りを求めて手を差し伸べるのではなく、「ついで」の機会を捉えて行っていると仰っておられますが、この仕組みは日本でも参考になると思われますか。
タンザニア商人の交易の仕組みは、UberやAirbnbのような「ついで」の機会や「空いている」部屋を活用するシェアリング経済とも似通っているし、珍しくも、洗練されてもいません。ただ彼らにとって大事なことは、どうしたらすきま時間や遊休資産を活用できるかではなく、いかに誰もが過剰な「負い目」を感じることなく、気軽に助けあえるかにあります。だから、私たちが既存のシェアリング経済を考えていく際に、どんな論理を基盤とするかの参考になったら嬉しいですね。
また日本では、何らかの困難に陥った人を支援する方法として政府による再分配や公的な制度に対する期待が大きいですが、制度的な再分配と「ついで」に助ける自前の仕組みの両方があるほうがきっと豊かですよね。
―本学の学生に向けて、一言お願いします。
立命館大学の学生たちは個性という言葉の呪縛に囚われがちですが、それぞれの人生は異なるのだから既に誰もが個性的です。ささやかなアイデアと工夫次第でオルタナティブな社会はいくらでもつくれることを本書から感じてほしいと思います。
(恒成、波多野)
小川さやか(おがわさやか)
立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。専門は文化人類学、アフリカ研究。
1978年愛知県生まれ。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程指導認定退学。博士(地域研究)。日本学術振興会特別研究員、国立民族学博物館研究戦略センター機関研究員、同センター助教、立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授を経て、現職。