立命館大学新聞のコラム欄「海神(わだつみ)」。記者が日々の思いを語ります。
その日は酷く晴れていた。1年のうち30日ほどしかない快晴は、今日を指すのだろうか。最高気温は25度を記録していた。風のない初夏の午過ぎ。息苦しさを感じていた日常に日差しが刺す。ふと、海を見たいという感情が湧く。心に思い浮かぶのは、山陽電車からみた須磨の海だった。
ガタンゴトンと客車に揺られて、感染予防のために開けられた窓からは、海風の匂いがした。反対側の車窓には山がそそり立つ。山と線路と海。自然と人工物の奇妙なサンドイッチ。素直に、この景色が好きだと思う。シルクロードの命名者とされるドイツの地理学者リヒトホーフェンは、かつて瀬戸内海を「これ以上のものは、世界のどこにもないだろう」と評した。私も同じ感想だった。
明石海峡は、淡路島の存在によって作り出された。その流速は大阪湾に向かって増していく。人も潮流のように流れてゆく。キャンパスの人の流れは潮の満ち引きそのものだ。お昼の食堂はきっと満潮。時間が経つにつれて潮が引いていく。私も潮を作り出す一個人。パーソナルスペースが希薄になる激しい流れに、少しだけ息苦しさが溜まっていく。積み重なった苦しさは閉塞感へと姿を変えていた。そこから解放されたいだけだった。海を眺める行為に意味があるはずと願って、眼前には世界中のどこよりも綺麗な蒼色だけが広がっている。(中村)