海神

海神DIGITAL「花について」

立命館大学新聞のコラム欄「海神(わだつみ)」。記者が日々の思いを語ります。

衣笠キャンパス構内では、四季折々、さまざまな美しい花が見られる。前期に限れば、咲き誇る桜が散ったと思えばハナミズキが姿を現し、褪せ始めるころにはツツジが開いた。垣をいっぱいに彩ったツツジが落ちるとアジサイが現われ、4か月間途切れることなく咲き続けている。

日常の中で目にする花は地元にいたころから身近であったが、京都で見る花とでは随分感覚が違う。毎日目にした土手の上の花たちは、可憐さ、美しさという点では花壇を飾る花と遜色ない。では、何が違うのか。

私自身だろうか。幼時、私は土手にヒメオドリコソウが咲けば吸い、カタバミが生えれば齧り、シロツメクサが伸びれば摘んで編み、ムスカリがあれば潰し、イヌダテが色づけばこそげとり、スイバが生えればまた齧り、ススキを折っては振り回し……と、暴虐の限りをつくしていた。当時の私にとって草花はおもちゃか、そうでなければおやつだった。

今、私が花々を見ることだけで十分に楽しむことができているのは、一面では私の成長というのもあるだろう。しかし第一にはそれらが街の、人工物の中の自然であるというのが大きい。整備された空間の中で適切な管理のもと咲く花々を前にすれば、手折るという発想すらもでてこない。ありふれた自然の中のごく身近な草花たちは長年親しんだ大好きなものだが、綺麗に身を整えられて澄ました表情の花々を離れて眺めるのもまた、彼らの美しさをしかと味わうことができる幸せな体験である。

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