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いま、なぜ新聞なのか ー信頼揺らぐ新聞、その使命は

昨年の朝日新聞誤報問題などによる新聞に対する不信感の高まりや若い世代の新聞離れなど、現在、新聞は危機的状況に立たされている。新聞の現状とその役割について、ジャーナリズム論を専攻する立命館大産業社会学部の柳澤伸司教授(55)と京都新聞社編集局総務の大西祐資さん(50)に話を聞いた。 (松田貴之、福井優)

WORD:朝日新聞の誤報問題

朝日新聞は1982年から97年まで複数回にわたり吉田清治氏の従軍慰安婦に関する「吉田証言」を取り上げるが、後に虚偽と発覚。関連の記事を2014年8月5日付と6日付朝刊の紙面で取り消すとした。これに関する池上彰氏の連載コラムの掲載拒否も問題視された。また福島第一原発事故に関する当時所長の吉田昌郎氏の聴取を記録した「吉田調書」を報じた際に、所員による退避を命令違反と表記したことについても同年9月に訂正し、当時の木村伊量社長ほか担当の役員が辞任するに至った。一連の誤報問題を受け、他の新聞や週刊誌などのメディアからは批判が噴出した。

「新聞通して社会と向き合って」産業社会学部 柳澤伸司教授

―昨年の朝日新聞による一連の誤報問題について思うことは。

朝日新聞の慰安婦に関する『吉田証言』の報道では取材不足の面があり、情報の裏付けも十分とはいえなかった。2014年8月5日付、6日付朝刊の『慰安婦問題』報道は朝日新聞社の自己防衛とも取れる記事だった。これらの点検記事は本当に読者に向いていたのか。慰安婦報道に加えて①福島第一原発事故の『吉田調書』報道②池上彰氏のコラム掲載拒否の2点が重なった。特に池上氏のコラム掲載拒否は言論機関として最もしてはいけないことだった。知名度の高い池上氏だったこともあり問題が一気に広まった。

―「若者の新聞離れ」についてどう分析するか。

大学生が新聞を読まなくなった理由は、その習慣がなくなったこと、政治や社会への関心を持たなくなったことが挙げられる。加えて新聞が面白くなくなったこと。読んで深みを感じる記事が少なくなった。読者と新聞のつながりも希薄になった。1980年代の読売新聞大阪社会部の連載コラム『窓』に見られるような投書を通して読者と記者が交流するような工夫がみられない。

―新聞が読まれなくなることへの懸念は。

ジャーナリズムの役割は、人々に適切な情報を提供し、羅針盤となること。私たちが個人で取材をする時間はない。新聞が読まれなくなると新聞社の取材力が弱まり、判断材料が減ってしまうことが懸念される。最近ではスマートフォンやネットから情報を無料で手に入れることができるが、そこで得られる情報は自分の嗜好(しこう)に合うもので、知っておくべき情報を狭めてしまう。その点で新聞は網羅的であり、今まで気が付かなかったところに目を向けさせる。新聞業界が弱体化すれば、取材力が落ちてしまい、記事も面白くなくなってしまう。記事がつまらないと読者が離れていき、悪循環になる。今こそ新聞を元気にして、ジャーナリズムを活性化しなければならない。

―大学生が新聞を読むことの意義は。

世の中を読み解く力を身に付けること。今、何を考えなければならないのか、これからどうしたらいいのか、新聞を通して気付くことができる。社会と向き合うためのツールが新聞だ。

―新聞のこれからは。

常に新しいものを追うだけではなく、日常にあって気付かなかったことに目を向けさせる記事がもっとあってもいい。読者が気付かなかった視点を提示する記事や紙面を期待したい。読者のリテラシーも不可欠になる。新聞を使いこなす力はもちろん、新聞と読者の関係を再構築していく必要がある。

「権力監視が新聞の役割だ」京都新聞社編集局 大西祐資さん

大西祐資さん

―現在、新聞が置かれている状況をどう考えるか。

深刻な状況だ。そう考える理由は二つある。一つは新聞の存在感が低下していることだ。具体的にいうと去年の衆議院選挙で、京都新聞だけでなく全国の地方紙の大半が、安倍政権を批判した。しかし、結果は新聞の影響とは関係なく、さらに安倍政権の一強となった。1960、70年代であれば、新聞が世論を喚起する、つくるという側面があったが、現在、新聞の主張は世論と結びつかない。もう一つは、朝日新聞の一連の誤報問題でメディアがメディアを批判したという点だ。本来、新聞社などのメディアは、政府や政治家などの権力者をチェックするのが仕事なのだが、一部の新聞は朝日バッシングをした。本来の新聞の役割とは異なることをし始めている。一方で楽観視している点もある。それは、どんなにインターネットが発達しても、そこに流れている情報の元は、新聞記者が発信した一次情報が大半だ、という点である。SNSの情報は、新聞記事に対する論評などが中心で、そもそもみんなが知らないことを発掘した情報ではない。どんなにネットが発達しても、紙媒体がなくなる可能性はあるが、新聞記者がペンを持って現場に行き、一般の人の怒りや悲しみなどを聞いて、それを文章にする作業は、なくならないと思う。

―新聞の現代社会における役割・意義をどう考えるか。

新聞は、為政者にだまされないためにある。新聞の役割は、権力をチェックすることだ。国会で起きていることが本当に正しいことなのかどうか、ということを新聞が毎日、監視している。また新聞を読むことで、多様な意見に触れることができる。もう一つは、文化などの記事で、心を豊かにすることができる。基本的には、SNSは自分にとって、都合のよい情報が入ってくるが、多様な意見というのは恐らく入ってこないと思う。そこが、新聞とネットやSNSとの大きな違いだ。

―地方紙の役割は。

地域の市井の人たちのその時代の行動や思い、気持ちをきちんと記録することが、地方紙の役割だ。教科書には載らないかもしれないが、その地域、その時代に起きた出来事の詳細を、人々の気持ちを、記録していくことが重要だ。

―新聞のこれからは。

今以上に、多くの人が、携帯端末でニュース速報を読む時代が来ると思う。そうした時に、新聞は、ニュースを読み解く、深掘りすることが重要な役割になる。なぜ、こういう出来事が起こっているのかということをしっかりと解説していくことが重要だ。同時に京都新聞は地方紙である。徹底的にローカルにこだわり続ける。

社説比較 憲法と安保法案

朝毎京は「憲法違反だ」  読産日は「現実直視を」

新聞各紙は社説やオピニオン面を通して、政治・社会のさまざまな問題に対する自社の意見を主張している。各紙の主張はそれぞれ異なるため、複数の新聞を合わせて読むと一つの問題
に対する多様な意見や視点を知ることができる。ここでは、朝日・毎日・読売・産経・日経・京都6紙の社説を読み比べてみたい。

社説比較のテーマは「憲法と安保法案」だ。現在、国会では、憲法解釈変更による集団的自衛権の行使容認を含む安全保障関連法案の審議が行われている。

先月4日の衆院憲法審査会では、与党推薦を含む3人の憲法学者全員が、同法案を「憲法違反だ」と断じた。同法案の根本をゆるがす判断に各紙が、同法案の合憲性の是非をめぐる社説を多数、掲載した。

以前から同法案を批判していた朝日・毎日・京都は、憲法学者の判断に賛同し、政府を問いただした。

政府が、憲法9条の下でも「自衛の措置」は認められるが、集団的自衛権の行使容認は許されないとする従来の政府見解を、安全保障環境の変化を理由に行使を容認したことに、朝日は「環境が変われば黒を白にしてよいというのだろうか。この根本的な矛盾を、政府は説明できていない」(6月16日付)と批判。

毎日は「論理的整合性を超えて解釈変更が必要というなら、憲法改正を国民に問わなければならない」(11日付)と指摘した。京都は違憲判断を「安倍政権の強引な手法への警鐘」(6日付)と政府を戒めた。

一方の読売・産経・日経は異なる主張だ。読売は「現実の脅威や安全保障環境を直視した議論が大切である」(11日付)とし、同法案の必要性を説く。同様に産経は「野党側は厳しさを増す安全保障環境や実効性の高い防衛政策への考察は軽視している」(11日付)と反対する野党を批判した。

日経は刻々と変化する安全保障環境に言及し「憲法解釈の変遷こそが戦後日本である」(13日付)と同法案に一定の理解を示した。

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