◆政策科学部教授
「思想が強い」という言い方はしないかもしれないが、(その考えは)昔からあったのではないか。政治においても、今年10月の自民党総裁選で、政策や思想信条をはっきりと言わない作戦に出ていた。これは昔の政治家も同じだった。
かみくぼ・まさと専門は現代日本政治論、政策過程論など。著書に『逆説の地政学』(晃洋書房)。
日本社会では、はっきりモノを言う人や無理に物事を解決しようとする人は、組織から嫌われる。一方でそうでない人は良い人とされ、昇進する。
現代ではそれがSNS(交流サイト)上で起こり、「推し」のことを絶対的に信じている人や正論を言う人などが、社会全体からバッシングを受ける。また企業が就職活動でSNSをチェックするという動きから就活生にとってプレッシャーとなる。このことから黙った方が無難という考え方になる。
モノを言うことを恐れるようになったことの裏返しが、若者の言葉で「思想が強い」という言い方になったのではないか。ただ黙っているからといって知性や教養がないわけではなく、黙っていられるだけの知性はあり、こういう人は「思想が弱い」ことになる。
これは悪いことではない。日本の場合、政治に関心がないのは、政治が安定しているし、自分のことだけ考えれば良かったからだ。
僕の住んでいたイギリスでは、主張や個性のない人は、尊敬されない。大学の先生も学生や日本人以外の留学生の評価は、授業でモノを言わなければ、考えていないから評価を低くくし、課題を与えてもどうせ点数が低いとみなされてしまう。
しかし日本人は、モノを言わなくても考えており、書いたら凄く、侮れない。だから、言わなくても低い評価にしてはいけないと理解されている。これを理解されているだけで良い方だ。
欧米などでは給料やポジションを上げようと思い、別の会社に応募する。この時に業績がないと雇ってくれないため、業績を上げようとわがままになり、組織的な問題がよく起こった。その結果、日本のように黙っていることが良いとされた時代もあった。
しかし、この状態が広がると積極的に問題を正そうとせず、責任を持つことをしなくなり、AIに言わせることで、自分で考えようとすることから逃れようとする。まさに若者が上の世代に抱いている不満や批判そのものではないか。
多様な意見がぶつかってこそ、問題が発見され、それを解決しようとなり、世の中は発展する。
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言論空間の健全性を保つためにSNSのアカウントを全て実名にすれば、思想が「強い」も「弱い」もなくなる。僕は若いころから全部実名だった。慣れるとそっちの方がモノを言いやすい。もちろん詐欺サイトなどといったリスクがあるのは承知だ。だが実名にすれば、安易に誹謗中傷をすることはなくなる。
社会に出てからは何も言えない。また言うときは完璧なことを言わないといけないというところが日本人にはある。
しかし大学生の時ぐらいは、空気を読まず、好きなことを言ってほしい。異文化や自分とは違う人に接し、さまざまな意見やバックグラウンドを持った人がいることを知れば、恐れというものはなくなっていく。
(聞き手・室山)
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