本学国際平和ミュージアムの2期リニューアル時に、旧日本軍による「南京戦」(1937年)や「慰安婦」問題に関する記述が展示構成案に盛り込まれず「消えかけていた」と、複数の教員らが証言した。検討過程では、いずれも展示する方針で決まっていた。立命館の広報課は、展示構成案の資料は文字量などを示すためのサンプルであり「加害の歴史の意図的な削除という事実はない」と説明している。一方、リニューアルに携わった関係者は「事前に伝えられていた項目数に合うよう内容を検討していたため、抜け落ちることはない」と否定している。(小林、井本)
丹青社が提示した年表の展示イメージの一部。慰安婦に関する記述が盛り込まれなかったミュージアムは、教学理念「平和と民主主義」を具体化する教育・研究機関として、92年に開館。展示内容の刷新のため、2021年4月1日から約2年5カ月休館した。
2期リニューアルでは、戦争の記憶を共有する▽平和創造の場となる▽平和創造を支える調査研究活動の拠点となる――を基本コンセプトに掲げていた。
展示内容を検討するため、教員と学芸員で構成される▽部会A 帝国主義の時代・十五年戦争▽部会B 戦後の世界▽部会C グローバル化した世界――を設置。
当初は、学芸員や職員で構成されたリニューアルの事務局が部会の案をとりまとめ、展示設計などを担った「丹青社」(東京)に伝えていた。
21年中に、全長70㍍にわたる年表展示の構成案について各部会が構成案を提案し、執行部会議が承認。これを受け、事務局が丹青社に展示イメージの作成を依頼した。
22年6月、丹青社が作成した展示イメージが、執行部会議で共有された。関係者によると、このときの構成案は、各部会の決定とは大幅に異なっていた。
関係者は、部会Aが担当した「帝国主義の時代」では88項目中47項目が、「十五年戦争」では南京戦など91項目中43項目が「書き換えられていた」と証言した。
部会Aの担当分全179項目のうち、約半数の90項目が部会の提案と異なっていたことになる。
構成案を受け、各部会の教員らが反発。事務局に対し、部会の座長も丹青社との話し合いに参加させるよう抗議した。
部会AとBでは、教員・学芸員が「部会の意向を反映させる余地がないと分かった時点で、全員で手を引く」ことで合意していた。
7月には丹青社と事務局に加え、各部会の座長も出席して協議。丹青社が作成した構成案の「白紙撤回」(関係者)を決めた。
出席者によると丹青社の担当者は、広島平和記念資料館本館なども手掛けてきたが、これまでは中身に立ち入らないことを徹底してきたと説明したという。
当時副館長だった市井吉興教授は、部会が決めた展示の方針とは異なる意向を、職員らが丹青社に伝えたとみている。
関係者は、本紙の取材に「部会が展示内容を決めることは、常任理事会で合意されていた。部会を抜きにミュージアムの性格を変えようとしたことは、合意に違反し許されない」と憤りをあらわにした。
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