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母と妹に”死の薬” 村上敏明さん満州での経験語る

12月9日、スウィングキッチンYourにて「村上敏明さんのお話会『満州引き揚げ』母と1歳の妹に ”死の薬” ~消せない記憶~」が行われた。

本イベントは@Peaceとして、平和をテーマに活動をする岩井尚美さんが主催した。参加者にはロシアによるウクライナ侵攻が始まった頃に岩井さんが手作りしたというシールが配布され、参加者はおのおのでシールを貼った。

岩井さんが手作りしたシール「Peace being with me」

岩井さんと村上敏明さんは過去に開催されたイベントで出会い、Facebookでつながったという。村上さんの投稿で旧満州(現・中国東北部)からの引き揚げの話を知り「世の中に伝えていかなくてはいけない」という思いに至った。岩井さんは今回のようなイベントを度々開催してきた。「若い人に生の声を聞いてほしい。そして、語り部になってもらいたい」と期待を寄せる。

@Peaceとして活動する岩井さん

村上さんのお話会では、戦時中に村上さん自身が旧満州で経験した出来事をスライドの資料とともに語った。

村上さんは1934年に京都で生まれ、その4年後、家族と共に旧満州へ渡った。当時世界ではファシストが勢力を増大し、その裏で日本は満州事変を起こすなど社会情勢は不安定であったと振り返る。

1945年、日本は第2次世界大戦で連合国に敗戦した。終戦直前の8月9日には旧ソ連軍が旧満州への侵攻を開始。連日鳴り響く大砲や機関銃の音におびえた。1946年に中国共産党と中国国民党との間で起こった国共内戦では、当時住んでいた旧満州・四平の街が戦場となり、人々の悲惨な様子を目の当たりにしてきたという。

その後同年5月に日本に引き揚げが決まるが、7月、突然日本人会の5、6人が家に押し寄せてきた。彼らに囲まれ、母が妹を抱いているところに村上さんは呼ばれ、妹に日本人会の一人から渡された液体をスプーンで飲ませた。その後、妹は息を引き取った。村上さんは「妹の『お兄ちゃん、何するの』と訴えかけるように目を見開いて亡くなっていく様子は今でもはっきり覚えている」と語る。足手まといになることが予想される幼い子どもを減らすための行為だったのたのだろうと推測している。

満州での経験を語る村上さん

この話を聞いたという村上さんの知り合いの画家は、日本人会の男性らに囲まれる村上さん家族の様子を絵にしたという。家族を囲む人の中には僧侶だと思われる人も描かれており、それを見た参加者からは「衝撃的だった」という声が寄せられた。

この妹の死は更なる悲劇も引き起こした。妹を亡くしたショックから母が身体を壊した。病院に入院し、毎日同じ薬を飲んでいたが、ある日いつもとは違う薬を渡された。それを飲んだ母は泡を吹きながら亡くなったという。その夜は、弟と共に母の亡きがらの横で眠った。

その後、弟と2人、引き揚げ船「高砂丸」に乗り日本へ帰国した。祖母と再会を果たし、小学校へ編入。大学は本学法学部2部へ進学した。

参加者からの質問に答える村上さん

村上さんは普段、Facebookを活用し平和に関する思いを発信している。ウクライナやガザ地区で起きている戦争に触れ「若い人がもっと政治や平和のことに関心を持ってほしい」と語る。そして最後に「若い人が活動している様子を見るとうれしくなる。声をあげて行動することで社会を変えていける」と呼び掛けた。村上さんの話が終わると、参加者からはさまざまな質問や感想が寄せられた。それぞれが改めて平和を考え直す機会となったのではないか。

(西澤、小林)

 

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