18日にわかさスタジアム京都(京都市右京区)であり、本学が同志社大に4-0で勝利した。(鶴・吉岡) 関西学生野球連盟の最終節、伝統の立同戦の初戦が
300通のお祝いメッセージが来たという17日から一夜明け、ドラフト会議で横浜DeNAに2位指名された坂本裕哉(文4)に浮かれ気分はなかった。初回から常時140㎞越えの直球をコースに投げ込み、相手打線に的を絞らせない。6回2安打無失点の投球で山梨智也(産社3)にバトンを託す。その後も山梨→元氏玲仁(産社4)→糸井稜二(産社4)の投手リレーで同志社を0封。打線も宮崎竜成(経営1)の先頭打者本塁打で先制すると、コンスタントに得点を重ね、立同戦の初戦を白星で飾った。
「遠回りを、遠回りと思わずにコツコツと」
8回二死無塁、投手交代がアナウンスされると3塁ベンチ横のカメラ席がざわめいた。「ピッチャー山梨君に替わりまして、元氏君」
元氏玲仁。甲子園での鮮烈な投球と共に彼の名を記憶している人も多いだろう。AKB48の「恋するフォーチュンクッキー」が入場曲だった2014年春の甲子園を制した龍谷大平安高の背番号18。履正社高との決勝戦ではロングリリーフで好投し、優勝に貢献した。甲子園を沸かせた投手はしかし、立命館大に入学後、外野手に転向した。選抜優勝後の2年春の近畿大会で一塁悪送球を契機にイップスに陥ったことが原因だった。投球フォームが崩れ、マウンドに立てなくなった。
リーグ戦の初マウンドに上がった元氏は投球練習を終えると、野手陣の方を振り返って両手を挙げた。
「久しぶりに、後ろをみんなが守っていて」
学生の頃から慣れ親しんだわかさスタジアムでの登板に感慨もひとしおだっただろう。中高と全国優勝を経験した元氏にとって大学生活は苦節の4年間だった。打者に転向した元氏は、長打力は高いがミート力に難がありレギュラーに定着できなかった。今春は.167(6打数1安打)と結果を残せず、今秋は一度も出番なし。それでも「野球が好きだから心が折れることも、モチベーションが下がることもなかった」4回時は副キャプテンとして、常にチームの輪の中心にいた。同じ外野手の宮崎尚也(経営3)も「厳しく締めるべき部分は締めてくれる。声でチームを引っ張ってくれる」と話し、後藤監督も「ベンチから外せない存在だ」と評価する。
「いつか再び投げたい」という元氏の願いが叶ったのは、今年8月の京都トーナメント準決勝(対龍谷大)だった。この試合で145キロを計測し、投手として本格的に練習を再開した。それから2か月後、ついにリーグ戦のマウンドに上がった。右手には小橋遼太郎先輩(18年度卒→日本新薬)に「投手復帰するので下さい」と頼み込んで、譲られた投手用グラブを着けていた。
左腕を大きく外旋させ、直球を大本主将のミットに投げ込む。気迫がこもったボールに打者・田村のバットは空を切る。復活劇はあっという間に終わった。3球三振であったからだ。「圧巻の投球」という形容がふさわしい内容だった。全て直球で2球目は自己最速を更新する147キロを計測した。
試合後にSNS上では「あと1年早いと、ドラフト指名あったかも!」という野球ファンのコメントがあった。それを期待させるに足る投球であったが本人は「遠回りを、遠回りと思わずにコツコツやってきたことが結果に繋がった」と振り返る。「これから伸びしろしかない。150km出せるのではないかな」と将来を見据える。
卒業後は軟式の社会人チームに進むことが決まっている。「軟式からプロにいける可能性もある」とプロ志望も覗かせる。「これからの野球との向き合い方は?」と問われた元氏は「人生に野球の心を」という言葉を挙げた。龍谷大平安高の原田監督から贈られた言葉だという。
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