四半世紀前から、ミス・コンテスト(以下ミスコン)については多様な意見が交わされ、複数の大学でミスコン廃止や在り方の変容が見られる。ミスコンについて考える際の論点について本学の筒井淳也教授に話を聞いた。
筒井教授はミスコンに対する批判について、ジェンダーの主流化のなかで生まれた1つの課題に対するものであると指摘。ジェンダーの主流化とは、国連をはじめとした、さまざまな場面でジェンダーの視点から男女格差やマイノリティの新たな問題が見えてくることである。またミスコンはルッキズムの問題、ジェンダーの問題、評価の概念が複雑に絡み合っているとした。そしてその1つをとっても、良い、悪いの判断がシンプルにできない複雑な事柄だという。
またミスコンに限らずその他の社会問題を考える上でも、筒井教授は「もっともらしい主張を研究者がしたとして、それに対する反論は割と簡単にできてしまう。反論は、ずっと続けることができて、論理的に決着がつくわけではない。議論を続けることが大事。このことを前提として話を進めなければならない」とした。
ルッキズム・ジェンダー・評価の観点から見るミスコンの論点
ルッキズムを社会から根底的になくすことなどは非現実的で、目指すべくもない。しかし、ルッキズムが(見た目が本来関係ないはずの場面を含めて)至るところに浸透しており、特に女性にその負担が偏っている社会状況を踏まえ「多くの人がさすがにこの場面でルッキズムを前面に出すのは少しおかしいんじゃないかと思えるところを探さなければいけない。これは場所や時代によって変化するため、その都度指摘しなければならない」とコメントした。
またジェンダーの観点から、一般社会の方が大学より固定的なジェンダー、ジェンダー差別が激しいことを指摘。大学と社会はどうしてもつながりがある。しかし大学は、利益追求にプレッシャーがきつい世界からある程度自由でいられるからこそ、外の世界の価値観を少し和らげて、反省して入れ込むことができるとした。そして現在、世界のジェンダーの主流化に反応して、大学のミスコンが変わろうとしていることからも大学は無批判に社会の価値観を受け入れない所なのだという見方もできるという。
さらに、ミスコンの評価の概念についても言及した。まずそれなりに頑張ったことを評価しなければ、世のなかは良くなっていかない。そのため評価や順位付けを世の中から外してしまうと、おそらく多くの人が不幸になるとした。では評価をどのように、何をポイントにするかは、社会に通用していて、それを細かく見たときも多くの人が「それであれば順位付けは仕方がない」となるものであるという。その上で「ミスコンは評価内容に対する論点が複雑。ミスコンに批判的な意見が強いアメリカなどでは人種の問題が絡む。何が生まれつきで、何がそうでないかの境界線は曖昧で、ややこしい。ただ、生まれた場所や年代などの、自分では変えにくい属性が人生に影響することは社会で『親ガチャ』という言葉が広まる前から社会学者が問題にしてきたことである。現在ミスコンの評価に何かしら問題があるのではないかと感じる人が目立ってきているからには、この問題は議論する余地があるということだ」とした。
各大学のミスコンの変容について
現在の各大学のミスコンの変容については、ルッキズムという概念を使って、人々が議論を進めていることからも、ルッキズムやその他の問題に対する影響力が強いのではないかとする。その理由を、世の中は概念で変化するところがあり、何かを描写するための言葉が世のなか全体の見方を変えて、社会構造を変えていくこともあるからとした。(川村)
筒井淳也
本学産業社会学部 現代社会学科 教授
研究分野は社会学(理論・計量分析)、経済社会学・家族社会学
KEYWORD
ジェンダー:社会的・文化的につくられる性別のこと
ルッキズム:外見至上主義ともいい、外見や身体的特徴に基づく差別のこと