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【社説】苦しさにふたをしない選択肢

新型コロナウイルス感染拡大が始まって約2年。現在、正課・課外問わずオンラインが取り入れられ、実施可能な活動を模索する学生がいる。「コロナ禍で戸惑う大学生活」から「コロナ禍に適応した大学生活」に今、転換しつつある。学生はコロナ禍に順応せざるを得なかった2年間で、新たな学生生活に適応しているのかもしれない。

しかし適応が求められる状況で、学生は自身の「苦しさ」にふたをしてはいないか。コロナ禍で偶然の出会いは減少し、コミュニティに飛び込む抵抗感が強まった。これにより些細な意見を誰かに伝え、助けを求めることが難しくなった。さらに、コロナ禍では人との距離が遠くなり、周りが見えにくい。大学生という自由と責任が伴う立場も相まって、学生は「独りで頑張らなくてはならない」という意識がより強くなっているのではないか。さらにコロナ禍に適応した学生生活が求められる今、適応に追いつかないことを負い目に感じてしまうかもしれない。

「コロナだから」という言葉は、私たちの苦しさにふたをする便利な枕詞である。できないことやつらいことも、仕方がないと自分と周りを納得させることが出来てしまいそうになる。

しかし、私たちは苦しさにふたをしない選択肢を提示したい。苦しさを誰かに言うことは、自分の考えを整理し、解決の一端となるかもしれない。似た苦しみに出会い、孤独感を和らげることや苦しみが共有され、学生全体の課題解決につながるかもしれない。本学には課題を学生が共有し、くみとる仕組みが存在する。例えば、キャリアセンターやSSPをはじめとする支援や、オリター・エンターなどの学生同士が助け合う「ピア・サポート」の制度、学友会の「要求実現運動」である。

誰かに助けを求めることは悪いことではない。苦しさを伝えることはやってみても良いことなのではないか。

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