前回はリンクトゥミャンマーの深山氏とブリッジ エーシア ジャパン(BAJ)の神永氏(シトウェ事務所)への取材を通して、経済的視点からロヒンギャとラカイン族の対立原因を見てきた。ラカイン州の貧困率は78%とミャンマー国内(平均37.5%)でもっとも高い。(世界銀行2014)※1
ロヒンギャ問題の原因についてもBAJの神永氏は「ムスリム(ロヒンギャ)がスケープゴートのような形で貧困の原因とされてしまったのではないか」と推測する。
(本紙ではアラカンとラカインという表記が混在しておりますが、同義で使っております)
ラカイン州の経済的な立ち遅れはロヒンギャへの迫害だけでなくラカイン州内での自治権拡大などを目的とした武装組織・アラカン軍(AA)の動きにも繋がっている。アラカン軍の過激な動きはかねてより指摘されてきたことであるが、2019年に入ってからは特にアラカン軍とミャンマー国軍との対立が熱火している。AFPの報道によると、今年1月にはアラカン軍が警察署を襲撃し13人が死亡した。※2 今年3月にもラカイン州都のシットウェ近郊で同様の衝突が発生するなど治安悪化が懸念されている。
今年2月にラカイン州を再訪した際には、1年前と比較して情勢の変化は感じなかった。シットウェで通いつめていたティーショップの店主に「アラカン軍はどこにいるの?」と尋ねても「ここにはいない。もっと北に行かないと」との返答だった。それでもNGOのオフィスを訪れた時などは事務所の雰囲気が「やけにざわざわしているな」と感じ、職員に話を聞いてみると「さっき車で2時間ほどの所で衝突があったそうです。シットウェから離れる時は気をつけてください」と忠告を受けた。
ラカイン族は非常に民族意識が強い。シットウェで乗車したバイクタクシーの運転手は「僕はミャンマー人ではなくラカイン人だ」と強調した。ラカイン族とミャンマー政府の対立を歴史的に見ていくと、現在のラカイン州にあたる地域は、15世紀から18世紀にかけてアラカン王国という仏教王朝だった。このアラカン王国は現在のバングラデシュ南東部(チッタゴンなど)まで支配地域を拡大するなど隆盛を誇ったが、1785年にビルマ族のコンバウン朝に征服され滅亡した。その後、英国占領期とアジア太平洋戦争を経て、1948年にラカイン族などの少数民族をビルマ族が統合する形で独立した。※3
独立を牽引したアウンサンが「少数民族を含めた平等な眼差し」を掲げて建国したミャンマー連邦であったが、独立直後から人口の7割を占めるビルマ族と自治権拡大を求める少数民族(カチン族など)との争いが絶えなかった。そうした中で今年に入って武力闘争を活発化させているのがラカイン族であった。
上智大学教授の根本敬氏の説明によると、ラカイン族とビルマ族は発音に差異があるが、言語的には非常に似通っている。宗教的にも両者とも上座部仏教を信仰していて「親戚みたいなもの」と根本氏は表現する。一方で根本氏はこう付け加える。
「自分たちの国(アラカン王国)をビルマ族に滅ぼされたという恨みがラカイン族の心情にある。ラカイン族の自治権拡大を求める思いは一般民衆の間でもある程度共有されていて、ラカイン州議会ではラカイン族のための政党であるアラカン民族党(ANP)が多数派だ。一方で州首相の任命権は国民民主連盟(NLD)のウィンミン大統領が有しているので、ラカイン州では多数派でないNLD出身の首相が行政を司るというねじれ現象が起こっている。※4 …(中略)…アラカン軍とミャンマー国軍との衝突については「反ビルマ族」という感情が、政治の風の吹き方や経済的な格差によって地下水のように噴出してしまうことがある」
こうした歴史的経緯や政治的背景に加えてラカイン州の経済的開発の遅れも指摘される。リンクトゥミャンマーの深山氏は「不満を持つ原因にはやっぱり平等ではないということがある」と話す。ミャンマー最大の都市ヤンゴンからラカイン州へ向かう交通手段は飛行機を除けばバスになるが、道中の舗装は不十分でアクセスが非常に悪い。(ヤンゴンからシットウェまではおよそ20時間かかる)またラカイン州には南部にガパリビーチ、北部にミャウーの遺跡群と観光資源はあるが、政情の不安定やアクセスの悪さもあり外国人観光客の姿はまばらである。経済開発の遅れが貧困に繋がり、政治的不満を誘引した。
アラカン民族評議会(ANC)は少数民族の連合組織である「統一民族連邦評議会」(UNFC)の構成組織である。ANCのメンバーで1989年に日本へ政治亡命したラカイン族のザーミンカングさん(70)は、政治運動の目標について説明する。
「ふだんは国民民主連盟(NLD)による文民政治を支援する。しかしNLDや軍の間違った行為については反対しなければならない。私たちの基礎的な目標は民族間での平等と自決権である」 (鶴)
次回は再びシットウェを舞台に首府の現状をお伝えします。2012年の衝突以後、およそ12万人のロヒンギャがシットウェ郊外の国内避難民(IDP)キャンプに逃れました。IDPキャンプを取材した記事を発表する予定です。
ロヒンギャ
ミャンマー西部・ラカイン州に住むイスラム教徒。ミャンマー政府はロヒンギャを隣国・バングラデシュからの「不法移民」とみなしていて多くのロヒンギャは国籍が付与されていない。
現地住民である仏教徒・アラカン人との争いがあり、両者の間ではたびたび衝突が発生している。わけても2017年8月の衝突は大規模なロヒンギャへの迫害につながり、およそ70万人が難民としてバングラデシュに逃れた。
ミャンマー政府はロヒンギャをベンガル地域(現在のインド東部とバングラデシュに当たる地域)から流入した不法移民とみなしている。その一方でロヒンギャは「自分たちはミャンマーで長年暮らしてきた民族であり、ミャンマー国民である」と主張する。
ミャンマー人仏教徒とロヒンギャの間で主張が対立する原因にはロヒンギャの複雑な歴史があった。ビルマ現代史を専門とする上智大学の根本敬教授はロヒンギャとは「『4つの層』から構成されたベンガル系ムスリムである」と説明する。
ミャンマー人のロヒンギャに関するイメージは1971年以降に流入した「4つ目の層」の人々である。そのために「ロヒンギャは移民であり、歴史もなく民族としては認められない」というのがミャンマー人仏教徒の一般的認識である。
※1「MYANMAR Ending poverty and boosting shared prosperity in a time or transition」より
※2 AFPの報道に依拠した。該当記事は以下リンクhttps://www.afpbb.com/articles/-/3205115
※3 1982年に制定された改正国籍法ではミャンマー国内には135の民族が存在するとされた。しかしロヒンギャはこの数に含まれず、土着民族では無いとされた。詳しくは本連載の第3回「ロヒンギャの4つの層―その歴史―」で触れている。
※4 ウィンミン大統領はアウンサンスーチ氏の側近だった。2008年に軍政下で制定された憲法では、外国籍の家族を持つ人間は大統領になることができない。アウンサンスーチー氏はこの規定に抵触するため現行憲法下で大統領に就くことは不可能である。そのため同氏の側近が大統領を務めている。