立命館大学新聞のコラム欄「海神(わだつみ)」。記者が日々の思いを語ります。
瞬く間に桜の花びらは消え、次第に緑が生い茂るようになった。そんな季節の変化を感じ取りながら、自然と思い出されるのは小学校時代の運動会である。
私は運動が得意ではなかったから、当時は運動会が近づくにつれて学校に行くのが億劫になっていた。それでも運動会当日、応援に来てくれた家族とみんなでお弁当を食べたあのひととき。徒競走直前、友達と緊張を分かち合う瞬間。そんな時間は大好きだった。
少し前帰省したときに、通っていた小学校の前を通る機会があった。大きく掲げられた横断幕。「ありがとう」の一言が見えた。どうやら閉校するらしい。私のあの運動会の思い出は、二度と手に入れることができないものである。それは時の流れに従うもので、郷愁こそあれ、どうしようもないことだと思っている。むしろ今となっては手に入れることができないからこそいとおしい思い出であるともいえる。しかし未来の子どもたちにとって、私が過ごした小学校で運動会の思い出を作ることはもはやかなわないことになってしまった。
人口減少、少子化などと叫ばれている。私たちが日々を過ごすなかで、直接的にこうした問題の影響を感じることは少ないように思える。しかし喪失はある日突如として降りかかるものだ。個々人で解決できる問題ではないかもしれない。せめて失う前にその大切さに気付いてほしい。ありきたりな言葉ではあるが、こう締めくくりたい。(竹内)