立命館大学新聞のコラム欄「海神(わだつみ)」。記者が日々の思いを語ります。
小学1年生の頃、授業でアサガオを育てた。1人1つ栽培キットをもらい、毎日世話をした。だんだんと愛着がわいてきて、芽が出た時は一日中喜んでいた記憶がある。アサガオの成長は想像以上に早く、青々としたツルはすぐに支えの棒を覆い隠した。
夏休み前になると、友達のアサガオはきれいな花を咲かせるようになった。焦りを感じつつも、私の相棒ももうすぐだと健気にその日を待っていた。しかし、そんな思いとは裏腹に、待てど暮らせど咲く気配がない。そのまま夏休みに入り、その日は来ないまま休みもすぐに終わった。
幼いながらに諦めがついてきたころ、その日は突然訪れた。いつものように水やりをしようとしたら、私のアサガオだけ20近くの花が咲いており、誰よりも立派な鉢になっていたのだ。飛び上がるほど驚き、うれしかった。
そんな記憶に浸りながら、ふと高校生の自分を思い返す。少し背伸びをして入学した進学校では、周りについていけず、いわゆる落ちこぼれだった。何をやっても上手くいかなかった。もう同じ思いはしたくないと、大学では色々なことに手を出した。新聞社に入ったのもその時だ。毎日必死だが、高校の時のようなつらさはなく、むしろ幸せさえも感じる。あのアサガオのように、焦らず、自分のペースで成長していけばいいのだと思う。うまくいかなくても、その頑張りはきっといつか花を咲かせ、気長に見守ってくれた人たちを喜ばせるだろう。(西澤)