◆産業社会学部客員教授
社会とメディアは相互に作用する。メディアは社会に影響を与えるし、社会の関心がメディアにも反映される。市場原理に基づいた動きだ。
もり・たつや 作家・映画監督。監督作品に「A」や「i―新聞記者ドキュメント―」。報道やドキュメンタリーに中立公正を求める声は多い。政治的、社会的な内容を扱う報道現場では、両論併記を徹底する動きが根強い。メディア内部ではびこっている中立公正の意識が、いつしか社会全体にも波及したのだろう。
「思想が強い」とは、メディアにとどまらず社会全体が中立公正を重んじる中で生まれた言葉なのではないか。
言葉の矛先となるのは、はっきり主張する人や自分と考えが違う人だと思われる。
もし自分や自分の作品が、「思想が強い」と言われたら、メッセージ性があるという意味だと受け取るだろう。「思想が強い」と言われるであろう記者や監督は、信念を持っている。批判的な言葉にも動じない。
そもそも、客観的で中立公正であることは、実際には不可能だ。ドキュメンタリー映画「A」の制作で、自らカメラを回して気が付いた。何を映し、何を映さず、何をズームするのか。取捨選択している時点で、映像には作り手の主観が反映されている。
僕が制作会社に勤めていた時、テレビでは、作り手の姿を見せないことが習慣化していた。僕も疑ってこなかった。ディレクターが自分の姿を映したり、立ちレクで質問したりしてもいいのでは。
メディアに限って言えば、会社上層部によるガバナンスは行うべきではない。発信は常に現場が決定権を持つべきだ。会社の色を重んじるのではなく、作り手の考えによって、番組ごと記事ごとに主張が違った方が面白い。
「集団の一部になりたい」という日本人に多い心理と、匿名性は相性が良い。学生は教室で後ろの席に座りたがり、発言も控える。日本はSNS(交流サイト)の匿名率も高い。
中立公正を過度に重んじる空気を乗り越えるためには、作り手が前に出てくることが必要だ。
日本の現状を変えるためには、まずメディアが変わっていくべきだ。ジャーナリストは記事に署名し、自分を主語に語るようになってほしい。それが達成されれば、社会にも広がり、健全な言論空間へとつながっていくだろう。
(聞き手・井本)
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