立命館大学新聞のコラム欄「海神(わだつみ)」記者が日々の思いを綴ります。
10月。半年振りに京都に帰ってきた。下宿先も街並みも何も変わりなく、あまり時間の流れを感じられなかった。しかし、人の話し声や活気の小さくなったキャンパスの様子は明らかに春とは違っていて、その寂寥は秋によく似合っていた。
春は出会いの季節と言われる。去年の春、入学したばかりの私にはたくさんの出会いがあった。教室で隣り合った人に声をかけ、食堂で友達の友達と知り合い、交友関係は広がっていった。しかし、今の社会情勢ではそれも難しい。教室では隣と1席開けて座りなさい。食堂では喋らないでください。大学は去年と比べて、ずいぶんと静かな場所になってしまった。マスクに半分隠れた顔からは表情も読み取りづらく、たとえ初見の人と話せる機会があっても深く踏み込むことを躊躇ってしまう。ようやく大学に通えるようになったというのに、秋学期も春学期と同様、新しい出会いがないまま終わっていくのだろうか。
キャンパスを歩いていると、何となく見覚えのある顔とすれ違った。最初は通り過ぎようとしたが、3歩進んだところでようやく、オンラインミーティングでしか顔を合わせたことのない部活の後輩であると気づいた。画面越しではわからなかったが、彼女は頭ひとつ分私より背が低かった。「はじめまして、はおかしいか」と私が言うと「はじめまして、ですよ」と言って笑ってくれた。春には聞けなかった、待ち望んでいた言葉だった。
去年のように、積極的に誰かと関わるわけにはいかない。しかし、誰かと出会い、そして友情を深めていける青春の貴重な時間を、諦めたくはないと思った。思えば今年同じクラスになった子とは、まだ一度も話したことがない。何とか適切な距離を保って、声をかけてみようか。
半年遅れで、今年の秋は出会いの季節となった。 (波多野)