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「僕たちはどう戦争を語り継ぐか」

 アジア・太平洋戦争の終結から73年。被爆者の平均年齢は80歳を超え、戦争体験の語り部がいなくなる時代が近づいている。戦争体験者なき時代に私たちはどう記憶を継承していくのか? 戦争の記憶継承の可能性を取り組みと共に考える。(鶴)

 

「非戦争体験者が語る原爆の実相」

「忘れてはいけません。原爆はある日、突然落ちてきたのではありません。人間が人間に落としたのです。戦争が人を狂わせました」

東京都青梅市に住む沢村智恵子さん(59)が身振り手振りを交えながら語ると、来場者は瞳を閉じて聞き入っていた。立命館大学国際平和ミュージアムで催されたイベントの一幕である。実は沢村さん自身は被爆者ではない。東京都国立市が取り組む「くにたち原爆・戦争体験伝承者講話」の語り手として、15歳の時に広島で被爆し母と弟を亡くした平田忠道さん(88)の体験を伝承している。

「生の言葉による魂の伝承こそ平和の礎となる」と沢村さんは話す

国立市は2015年から戦争体験伝承者の育成を始めた。原爆を体験した広島市や長崎市では同様の取り組みがあったが、それ以外の自治体としては非常に珍しかった。募集で集まった、沢村さんを含む1期生20人は1年以上かけて被爆体験の聞き取りや話法技術を習得し、2016年から語り部として国立市内の小学校などで講演している。講演時間は小学校の授業に組み込めるように35分と設定した。その短い時間の中で被爆者のストーリーを通じ、原爆の残忍さを伝える。

同じ被爆者の話を伝えていても、講演の内容は伝承者一人ひとりで異なる。それは伝承が単なる被爆体験のコピーではないからである。そのことを沢村さんは同期生の言葉を引いて「広島・長崎を主題とする19通りの変奏」と紹介する。伝承者はそれぞれ被爆者の話を咀嚼し自身の言葉で語る。例えば沢村さんには原爆で亡くなった叔父(当時13歳)がいたという家族の被爆の話が講演内容に深く関わっている。

「焼け野原の広島では、誰かが他の誰かを探していた」

沢村さんは講演でそう語った。その「誰か」とは、沢村さんの叔父を探していた祖父であり、また母と弟を探していた平田さんでもあった。

「平和を願うバトンをこの場で皆さまにお渡しします」

沢村さんは未来の世代にバトンを繋ぐ。

被爆者証言を世界へ 「全世代・全世界で議論を」

京都外国語大(京都市右京区)に事務局を置く「被爆者証言の世界化ネットワーク」(NET―GTAS)は被爆体験の証言動画を外国語に翻訳し、海外に向けて発信している。現在までに132本の証言動画が翻訳されていて、国立広島・長崎原爆死没者追悼平和祈念館のサイト「平和情報ネットワーク」で視聴することができる。

同団体の発起人で代表を務める京都外大客員研究員・長谷邦彦さん(74)は広島原爆で父親を亡くした。「原爆遺族」という言葉を背負い、毎日新聞記者として原爆とその後を生きる人々に向き合い続けた。定年退職後は京都外大で教鞭を取りながら、主宰するゼミなどで「ことばの壁」を超えた被爆者証言の継承という課題に挑んできた。2014年、そういった取組みを市民の力で継続的に行うために京都外大・筑波大・横浜国立大の教員に呼びかけてNET-GTASを設立した。設立当初は40人だった会員は現在200人を超える。会員の国籍もさまざまで半数ほどが外国人である。当初は5ヶ国語であった翻訳可能な言語数も現在は13ヶ国語に増えた。動画を見た米国人の女性から「感動した。自分も翻訳したい」という申し出もあったという。

NET-GTAS事務局にて 左から高原さん、阿比留さん、記者、長谷さん (NET-GTAS提供)

京都外大に通う高原康平さん(24)は「被爆者なき時代に人類は望ましい方向に進んでいけるのか。人類を想うのであれば、対話をしていかなければならない。若者だけでなく全世代的に話し会う場を設けるべきだ」と議論の必要性を説明する。

長谷さんも「(被爆体験の継承には)時間軸を垂直的に降りていくことと、ことばの壁を水平的に超えることが必要である」と語る。

これからの課題は、世界中の人々に活動の内容を伝え、被爆者証言に触れてもらうことである。同大の阿比留高広さん(24)は「より多くの方に被爆の実相を知ってほしい。そのために作品の活用・発信方法を模索しています」と意気込みを語る。

 

NET―GTASの翻訳した字幕付き動画は「平和情報ネットワーク」から見ることができる。https://www.global-peace.go.jp/

NET―GTASの公式ブログはhttp://www.kufs.ac.jp/blog/department/net-gtas

問い合わせ等はnet-gtas@kufs.ac.jp

「僕たちはどう向き合うか」 博物館から戦争体験継承を考える

国際平和ミュージアムにて秋季特別展「8月6日」が11月6日から始まった。展示内容は2つで、1つ目の「レプリカ交響曲《広島平和記念公園8月6日》」は、戦後70年目となる2015年8月6日の広島平和記念公園の1日を17地点から撮影し、8月6日に対する人々の向き合い方を17台のモニターで映し出す試みである。

「原爆への向き合い方は単純化できるものではありません」と同館学芸員の兼清順子さんは企画の意図を説明する。

「何か行動を起こすのも良いし、静かに祈り続けるのも良い。大切なのは戦争体験のない人が、あの戦争は何だったのか考えることではないでしょうか」

もう1つの展示の「8月6日のワンピース」は広島での学徒動員中に被爆し、直後に亡くなった木村愛子さんのワンピースに関係する展示である。長らくワンピースは愛子さんのものとして同館で展示されてきたが、遺族への聞き取り調査で愛子さんのものではなかったことが発覚した。本企画ではそのことを踏まえた上で、ワンピースが被爆体験継承に果たしてきた役割とこれからの展示方法を考える。会場内に設けられたアンケートには「愛子さんのものではなくても、原爆の悲惨さを伝えるために展示を続けて欲しい」といった声が寄せられているという。

秋季特別展の期間は12月16日まで。入館料は大人400円/本学生は無料

12月8日には広島の被爆体験者から受け継いだ証言を次世代に伝える「伝承者」を通して平和を考える「くにたち原爆・戦争体験伝承者講話」がおこなわれる。詳しくは同館HPから http://www.ritsumei.ac.jp/mng/er/wp-museum/

学生記者の視点

「戦争体験者なき時代に、どう戦争の記憶を継承するか?」

その疑問が取材のきっかけだった。アジア太平洋戦争が終結し73年が経ち、「戦争」は確実に遠いものになりつつある。「平和」は夏の季語となり「戦争」の話は白け顔で受け止められる。しかし同時に、他国への好戦的な主張がネット上で多くの共感を得るなど危うい現実も台頭してきている。

「戦争が終わって僕等は生まれた。戦争を知らずに僕等は育った。おとなになって歩きはじめる。平和の歌をくちずさみながら」

本学出身の杉田二郎さんが作曲し1971年に大ヒットした「戦争を知らない子供たち」の一節である。この「子供たち」の孫世代が僕たちである。僕たちはどう戦争を語り継ぎ、平和の意味を考えていくべきか。

戦争体験を継承する3つの取り組みを取材して考えるのは、「自分」という存在を通して戦争の惨禍と平和の意味を考え、各人の答えを探求することの大切さである。国際平和ミュージアム学芸員の兼清順子さんは「被爆者なき時代には、受け手の姿勢が大切になってくる」と説明する。戦争を「70年前の人々の出来事だ」とカテゴライズしていては、これからの平和を考えることは出来ない。

戦争が絶対悪か必要悪かの議論に答えを出すことは難しい。それでも「あの戦争で何が起こったのか」を考えていく必要があるだろう。次の時代の価値観を作るのは僕たち若い世代である。戦争の実相を知り、正しい歴史認識の上で未来を作っていかなければならない。

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