立命館大学新聞のコラム欄「海神(わだつみ)」。記者が日々の思いを語ります。
私の地元は港町である。高校は船の汽笛が聞こえるほど海が近い。そんな懐かしき故郷に、私は1年半ぶりに帰省した。長距離バスに揺られ近づいてくる見知った風景は少しづつ変化している。昔からお使いに行っていたスーパーは全国チェーンのドラッグストアになっており、通学路のそろばん教室は空き地になっている。しかし変化していくのは、街並みだけではない。
久しぶりに会った母親はどことなくやつれているようだ。母親は多くの仕事をしており、私が帰省している間も午前5時に起床し午後11時前後に帰宅していた。そんな中でも母親は、私が好きだった手料理を作ってくれたり、合間を縫ってドライブに連れて行ってくれたりした。そんな母親の優しさに触れるたび、何の責任もなく遊んでいた毎日が当たり前でなかったことを自覚する。戻らない日々への寂しさばかりが付き纏う。母親自身も、仕事を掛け持たなければならないほど厳しい状況だ。今後、母親はどうなっていくのだろう。このままどれだけ仕事をしても、地元で大きく生活が好転することはないだろう。今までは自分のことばかりで、母親の幸せなど考えたこともなかった。そのため、帰省した途端そんな考えばかりが浮かぶ自分に困惑したまま、故郷を後にした。
この帰省で母親が最後に連れて行ってくれたのは、港町らしく海である。この言いようもない悲しみも、いつかは川へ流れ出て大海を形成する一雫となるのだろうか。(三好)