立命館大学新聞のコラム欄「海神(わだつみ)」。記者が日々の思いを語ります。
私は東京の下町で生まれ育った。昭和の風情が残る居酒屋や個人商店が並ぶ駅前は「せんべろの聖地」と呼ばれている。幼い頃、二十歳になったらそこでお酒を飲もうと父と約束した。そんな駅前では今、再開発が進められている。
狭い路地に木造建築が密集しているため、火災の危険性や、消防車が入って来られないなどの問題が長年指摘されてきた。小学校の授業で、再開発の是非について商店街の店主たちに聞きに行った記憶がある。
再開発のため徐々に商店が立ち退いていく中、私は大学進学のために地元を離れた。帰省するたびに思い出溢れる駅前は姿を変えている。今は線路を挟んで続いていた商店街の半分が消え、フェンスだらけ。名物の飲食店は店を畳むか移転するかで、形を変えて続いているものもあるという。
本格的に再開発が始まったらしい。そして街の中を、人々の生活の中を走っていた電車は高架化される。跡地には高層ビルが建つ予定だ。安全上の問題に乗っかった再開発。
安全な街であるべきだ。それは紛れもない事実だが、再開発は必ずしも必要だったのだろうかと少しだけ思ってしまう。便利で新しくて綺麗なものが全てなのだろうか。少し古くて時々知らない道を発見する。そんな風情ある街が私は好きだった。自分の生活環境を変えたくて京都に行ったくせに、変わっていく地元の姿には寂しさを覚える。変わっていく街の中で、変わらないものを探してしまっている。(井本)