「ミャンマーで何が発生しているのか。報道の向こう側にいきたい」
その思いからバスに飛び乗り、2018年3月にラカイン州の古都・ミャウーにやってきた。パゴダの立ち並ぶ美しい町の郊外でロヒンギャと出会った私は、次の目的地としてラカイン州の州都・シットウェに向かった。ベンガル湾に面した首府ではロヒンギャが隔離されていた。
2012年にラカイン人とロヒンギャとの間で発生した衝突以後、シットウェではおよそ12万人のロヒンギャが郊外の国内避難民キャンプに追いやられ、街中に残ったおよそ4000人のロヒンギャは金属柵によって外界から隔離されていた。この現状について、欧州系NGOで働くラカイン人女性は「ラカインはとても貧しくて、日々の仕事に追われているのでロヒンギャ問題を考える余裕はない。それに衝突からもう7年も経っている」と漏らす。女性が話すようにラカイン州の貧困率は78%とミャンマー国内(平均37,5%)でもっとも高い。(世界銀行2014)
ロヒンギャとラカイン人が対立する原因の1つにラカイン州の経済的困窮があると考える人もいる。在日ミャンマー人の生活相談やラカイン州での学校建設を行うNPO法人リンクトゥミャンマー(横浜市)の理事長を務める深山沙衣子氏は「ラカイン州全体に蔓延る貧困が、ロヒンギャ問題の原因となっている。貧困は過激思想や排他主義を助長する。経済的に発展をすれば宗教関係なく通じ合うことができる。ビジネスは宗教を超える。お金に宗教の色はない」と話す。
またミャンマーやベトナムで活動するNGOブリッジ エーシア ジャパン(以下BAJ)のシトウェ事務所(シットウェ)に駐在する神永辰則氏も「貧困がラカイン州でのラカイン人とムスリム(ロヒンギャ)との対立の一因と考えられる。ムスリムがスケープゴートのような形で貧困の原因とされてしまったのではないか」と推測する。
ミャンマーでは近年、経済発展が続いているが(2017年度実質GDP成長率は6,7%)、ラカイン州を含めた地方部では経済資源の開発が遅れている。例えばラカイン州には南部にガパリビーチ、北部に古都ミャウーの遺跡郡と観光地は存在するが、国外からの観光客の姿はまばらである。経済開発の遅れに関連して最大都市ヤンゴンからのアクセスの悪さも指摘されている。
ヤンゴンからラカイン州へ行くためにはアラカン山脈を超える必要がある。飛行機を除くと長距離バスが主な交通手段となるが道路の舗装が不十分であるため、ヤンゴンからシットウェまではバスでおよそ24時間要する。
BAJはラカイン州において、2017年度からの5年間で80校の学校を建設するプロジェクトや国連女性機関と協力して現地女性に対しての裁縫訓練を行っている。学校建設について神永氏は「ミャンマーには教育の格差がある。ラカイン州の地方の村に行くと、掘っ立て小屋のような学校がかなり多い。加えてラカイン州では歴史的にサイクロンが多く発生している。生徒が安全に学べる環境を整えることが大切だ」と説明する。
一方で仏教徒の中には、海外のNGOや国際機関に対して不満を抱いている人もいるという。2016年に前国連事務総長のコフィ・アナン氏がシットウェを訪れた際、仏教徒から罵声を浴びせられる出来事あった。反NGOの理由には、ロヒンギャ支援が行われる一方でラカイン人貧困層への支援がおろそかにされてきた経緯がある。
神永氏は「ラカイン州全体で貧困の問題が深刻である。ラカイン州で活動する援助団体すべてがムスリム住民への支援に集中するのではなく、支援全体で見たときに偏りのなく、包括的な開発を促さないと、広い意味でのラカイン州の問題解決にはならない」と話す。
ラカイン州の経済的な立ち遅れはロヒンギャへの迫害だけでなく、ラカイン州内での自治権拡大などを目的とした武装組織・アラカン軍の動きにも繋がっている。アラカン軍の過激な動きはかねてより指摘されてきたことであるが、2019年に入ってからは特にミャンマー国軍とアラカン軍との対立の熱火が、ロイター通信などの国際メディアによって報じられている。次回はアラカン軍の動きからラカイン州の現状や歴史的背景を見ていきたい。(鶴)
ロヒンギャ
ミャンマー西部・ラカイン州に住むイスラム教徒。ミャンマー政府はロヒンギャを隣国・バングラデシュからの「不法移民」とみなしていて多くのロヒンギャは国籍が付与されていない。
現地住民である仏教徒・アラカン人との争いがあり、両者の間ではたびたび衝突が発生している。わけても2017年8月の衝突は大規模なロヒンギャへの迫害につながり、およそ70万人が難民としてバングラデシュに逃れた。
ミャンマー政府はロヒンギャをベンガル地域(現在のインド東部とバングラデシュに当たる地域)から流入した不法移民とみなしている。その一方でロヒンギャは「自分たちはミャンマーで長年暮らしてきた民族であり、ミャンマー国民である」と主張する。
ミャンマー人仏教徒とロヒンギャの間で主張が対立する原因にはロヒンギャの複雑な歴史があった。ビルマ現代史を専門とする上智大学の根本敬教授はロヒンギャとは「『4つの層』から構成されたベンガル系ムスリムである」と説明する。
ミャンマー人のロヒンギャに関するイメージは1971年以降に流入した「4つ目の層」の人々である。そのために「ロヒンギャは移民であり、歴史もなく民族としては認められない」というのがミャンマー人仏教徒の一般的認識である。