立命館大学新聞のコラム欄「海神(わだつみ)」。記者が日々の思いを語ります。

〈犠牲のシステムでは、ある者(たち)の利益が、他のもの(たち)の生活を犠牲にして生み出され、維持される〉。哲学者の高橋哲哉は鋭く暴いた。2011年、東京電力・福島第一原発の事故から数カ月後のことだった

今年、事故を起こした東京電力が新潟・柏崎刈羽原発を再稼働させた。7割の県民が再稼働を「心配」としていた中だった。再稼働した後もトラブルが相次いだ。福島第一原発の事故から15年。各地で続く原発回帰の流れに東京電力が加わる。犠牲のシステムが、矛盾の歯車がエスカレートする

福島では、15年たった今も故郷に帰れない人たちがいる。風評被害も根深い。いまだ福島第一原発には燃料デブリが数百トンも残されている。15年間で取り出せたのは一円玉にも満たない約1グラム。それなのに、政府と東電は2051年の廃炉を唱え続けている

事故当日に発令された原子力緊急事態宣言は今日も解除されていない。被ばく限度は20倍に引き上げられ、被ばく受忍が強要された。「緊急事態」の地を置き去りにしたまま原発回帰は進んでいく

原発は「現実的」だとよく言われる。一体どこが「現実的」なのだろう。「現実」の裏にある「犠牲」を忘れてはいないか

地方の原発で生み出された電力の多くは都市部で使われる。都市部の日常は、この犠牲のシステムの上に成り立っている。福島第一原発の事故から15年。私たちは今日も犠牲のシステムの上であぐらをかいている。

(星野)