立命館生活協同組合(以下、立命館生協)は現在5万人程度の組合員がおり、全国の大学生協のなかでも2番目に大きい規模。今年で設立61年目となった立命館生協の歴史を振り返る。
立命館生協のこれまで
発足するまでにはさまざまな困難があり、京都大学では1949年、同志社大学では1953年に生協が発足されたのに対し、本学の生協発足は1962年と比較的遅かった。これは、現在の立命館生協に近しい事業を行っていた学友会厚生部が、1950年に金銭的不祥事を起こしたことが原因である。事業再編が進むなかで、学友会と教職員組合は「生協設立準備委員会」を結成。生協設立への機運が高まったが、当時の学生食堂の実態調査を行ったところ、10万円程(現代の基準であれば300万円程度)の赤字が出ていたことが分かり、設立運動はとん挫。学内の諸事業はしばらく業者委託が主とされた。
再び生協発足の動きがあったのは1957年であった。食堂の増改築において業者委託を廃止し、広小路キャンパス(現在は閉校)では「立命館大学食堂管理委員会」、衣笠キャンパスでは「理工学部食堂管理委員会」が運営を行うこととなり、学生も参画した。この参画によって1959年、学友会中央委員会で生協設立に取り組む方針を固め、「生協設立準備委員会」が再び設立された。学生で構成された同委員会は学内の食堂、購買店、書店、クリーニング店、理髪店等の生協運営の検討や他大学生協の実態調査を行い報告書を作成した。この報告書をうけ、学友会中央委員会は「本学にも生協を慎重にして早急に設立しなければならない」と全員一致で決議し、同年の全学協議会へ「生協設立」の提起を行った。
全学協議会ではこの提起を受け、大学・学友会・教職員組合・食堂管理委員会・食堂従業員組合による生協設立に向けた共同調査委員会(生協調査会)の設置を決定。生協調査会は1961年に「生活協同組合に関する答申書」を作成した。答申書の冒頭では「生活協同組合は早急に設立すべきである。そして設立し得る」とし、同年の全学協で準備会の設立が全面的賛成を得て決定された。こうして1962年2月15日、広小路キャンパス存心館一六号教室にて立命館大学生活協同組合が設立された。
不祥事と立て直し
1983年、立命館生協に一大不祥事が発覚した。4年あまりの横領事件が発生し、その被害額は約3億円。倒産危機を迎えた立命館生協は、組合員に依拠した再建活動を行なった。再建計画のスローガンは「組合員の生活と要求と参加を事業、運営活動の根幹にすえ生協の総力を上げ自力で再建しよう」。再建活動に際しては、まずRUCなどの機関紙の充実をはかり、組合員の合意に基づく運営が強化された。
当時は惣菜のテイクアウトやバイクの無料点検、食堂周遊券の発行など、組合員の利用を促進すべくさまざまな取り組みが意欲的に行われていた。「在学中は家電家具に始まり、オーディオ商品、自家用車に至るまで生協で購入した」と語る組合員もいたという。
コロナ禍と今後に向けて
1983年に発生した不祥事以降、安定した運営を続けてきた立命館生協に新型コロナウイルスの感染拡大は大きな影響を与えた。利用客の減少から、1年で4億円を超える巨額の赤字が発生した。利用客は新型コロナウイルス最盛期に比べ回復傾向にあるものの、その回復は完全とは言えない状況が続く。
立命館生協専務の風折昌樹さんは「(4億円の赤字が発生した際は)大変な1年間であったが、なんとか取り返していきたい。少し混んでいても生協を利用してほしい」と語り、今後の立命館生協について「その時、その時代の学生の声を拾いながら運営していきたい」と展望を述べた。(中村)