80年前の8月6日、私はまだ5歳でした。だから、記憶に残っているのは、全て低い目線から見たもの。道の上に転がる木のおもちゃやこけし。そして朝顔。
現在は京都にて平和活動を行う花垣ルミさん=10月4日、京都市伏見区去年、朝顔を見ていた時、突然80年前に見た朝顔の記憶が戻りました。
当時はブロック塀じゃなく竹垣だったの。夏には、竹垣に巻き付く朝顔がたくさん咲いていた。竹垣が原爆で潰されて、隙間から朝顔の渦巻いた形のつぼみが見えてた。背が小さいから、そんなものしか見えなかったの。
当時、ちゃんと手当てをしていたら助かっていたかもしれない人がたくさん亡くなっていったでしょ。きっと悔しさを持って亡くなったと思う。だから話すのは少し辛いときもある。けれども、あれから80年間生きてきて、市民団体の方など多くの方が署名活動や平和行進などをしてきてくれた。もう少し頑張りたい。
手書きのメッセージが平和活動の際いつも着用しているというシャツには、色とりどりのペンでびっしりとメッセージが書き込まれていた=10月4日、京都市伏見区戦後80年の節目って言うけれど、核兵器禁止条約が批准できて初めて「節目」。被爆者の方が一人でも多く生きておられるうちに、どうか一刻も早く批准してほしい。
はながき・るみ1940年、大阪出身。5歳の時に広島で被爆。京都被爆者懇談会世話人代表。
(聞き手・吉江)
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